「修行中の昔話|福岡、西中洲の和食、日本料理 ゆるり」


吉兆の創始者「湯木貞一」先生の本。

内容はマニアック。
醤油がどうだとか、野菜がどうだとか。
料理とか器とかそんな話ばっかり。
自分はそんな話が好きなので非常に楽しい。
時間を忘れて読んでしまった。

先生は常々、「修業はどこでもできる」とおっしゃっていたらしい。

「修業」とか「修行」ときくと「きつい」「「しんどい」という「苦行」のイメージがある方もいるとは思うが、それって「仕事」云々よりも「人間関係」だったりするし、まぁ、そうなると一番しんどいわけだが、それも含めて「修業」「修行」は自分の在り方のような気もする。

なぜこんな事を書いてるかというと、最近、「有名割烹で暴力事件があった」というニュースを見て少し思うことがあってつらつらと書いている。

自分も結構やられてきた。
包丁のみねで叩かれる、包丁飛んでくる、熱い揚げ油をかけられる、出汁の寸胴に蹴り入れられる、バーナーの火口を押し付けられる、まな箸で刺される、器を運んでいると足を引っかけられる、出汁巻のフライパンで殴られる、煮物に酢を大量に入れられる、仕込みを残って一人で全部やらされる、一日分の洗い物200人分を営業後一人で全部やらせられる。多分他にもあったが思い出せるのはこれくらい。勿論、仕事以外でもお金を要求されたり、貸したお金を返してもらえなかったり、服に火つけられたり・・・(笑)。

いや、笑い事ではないんだけどね。

苦労自慢でもないし、「昔からこうだから殴ってもよくねー」って話でもない。過去に事実の羅列。でも、中には自覚がないだけで自分が「下手うって怒られた」懲罰だったのかもしれないし、ただ単に相手が「理不尽大王」だっただけかもしれないので本当のところは謎な部分もある。

どの時代、業界にもいるんだよ、オカシイ人は。
多分誰でも何人か思いつくだろう。

「オカシイ人」がいるのは事実だが、まともというか、普通の人も周りにはいるというか、そういう方のほうが多いわけで。自分は「一部のオカシイ人」が何が理由でそんな事をするのか理解に苦しむし、時間の無駄やし、楽しいとも思えない。そんな人を相手にしたいとも思わない。

しかし、上司→部下みたいな構図で語られる事がほとんどだが、部下→上司もあるわけで。少し怒ると「明日からきません」とか、「こんな給料じゃできません」とか。正直言わせてもらえば、「軽い脅迫」。給料上げたら仕事できるようになるんかい!って話やし。そんな人がいることも事実である。自分もそうだったのかな・・・と思うこともないわけではない。若い時は誰でもそんなものだと思う、ちょっと自信過剰だったり、カッコいいっぽい事言ってみたかったり。労働と金銭のバランスが理解できていなかったり。そんな舐めた事をやってると結果、鼻っ柱を折られて痛い目にあう。

自分は結構後輩を怒ってきたタイプと思っているが、「怒られた事はない」という後輩もいれば(正直意外)、「無茶苦茶怒られた、パワハラだ」と思っている奴もいるようだ。誤解を恐れず言わしてもらえば、明らかに前者の方が「仕事」はできる。

どちらの立場にせよ、相手を尊敬できるとか、信頼できるとか、どう付き合っていきたいのか、自分がこの先どうなりたいのか、といった自分の在り方で決まると思う。当たり前の事なんだが、案外忘れてたなーとか思ってしまった。

ま、自分の先輩、後輩や周りにいる人はみんな良い人だからね。自分は恵まれてる。過去にはオカシイ人もいたけど付き合いないし(笑)。そして、持論ではあるが「言って分からない人は殴ってもわからない」ので殴るだけ無駄だと思うし、「殴る」しか表現手段を持たないのはその人個人の感性の問題。結果責任をとる覚悟があれば自己責任でやってくれ。

今回は長文、乱文、乱筆で失礼しました。
でも和食や日本料理の業界が「古い、暴力的、オカシイ人の集団」みたいに思わないでいただきたい。
多くの店は楽しく、仲良くやってますから。

追伸:自分は当たり前ですが後輩を殴った事はないです。難しい技術などはホワイトボードで説明するパターンです。「やればできる」といった根性論はあまり好きではないですが、やる気などの精神論は結構重んじます。ホワイトボードの説明が長いと後輩に逆に怒られたな・・・。

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西中洲の和食「ゆるり」
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