ステーキの弁当を80個くらい。
つまりは80枚ステーキを焼くわけであるが、多少の誤差はあるがほぼロゼで焼き上げる。少し厚みがあるほうが均等に火を入れることができるので少し厚みを持たせている。お弁当なので冷めた状態で食べるのであまり脂肪がついていない赤身がむいている。
最近、OO牛を用意してほしいとのご要望があったがお断りした。どこの牛かはさておき、その牛自体は全国的に有名なブランド牛。仕入ルートが無いわけではないが、正直自分は美味いと思わないので丁重にお断りした。客が求めるなら用意するのが飲食店と思っている人も多いだろうが、自分が不味いと思っているもの用意する人の神経がよくわからない。どういうつもりで金もらうんだろうね。「言われたから用意してあげた」「大して美味くもないのに」とか思いながら料理するのだろうか?自分は絶対に後ろめたくなるので最初からお断りするようにしている。特に今回はその肉をメインで魚や野菜はあまり要らないというお話だったのもある。
脂の旨味自体を否定するつもりはないが、有名ブランド牛の中には赤身、つまりは牛本来の旨味を完全になくしてしまうほど脂肪を無理やりつけてA5ランクです!といったはっきり言えば「粗悪品」も存在する。ブランド=最高級品、脂がのっている=美味い、というのは半分以上は妄想である。分かりやすい「価値」と「旨味」はあるだろうがそれ以上でも以下でもない。特にブランドありきで作ったものにはその傾向が強いようだ。
神戸牛や大間の鮪はその美味さからブランドになったわけだが、
OOというブランドを立ち上げて表面的な理屈を後附けにしたとなると、例えば牛なら「どうやってA5の評価を得るか」とか「サシが入って美味しそうにみえるように」といった安直な方法に走りがちである。で、牛本来の旨味は後回し。本末転倒だ。それでは最初は上手く行っても先は知れていると思う。
食が当たり前になり、好みや嗜好は多角化しているのは事実。しかし、遺伝子組み換えの野菜、旬を勘違いさせた養殖の夏鰤、カボス風味の養殖平目や養殖鰤、鰻風味のなまず、卵を注入された子持ちシシャモといったものは「食の劣化」に繋がるように思えて仕方が無い。そして「生命を弄んでいる」ようにも思える。
「食」に関しては、何事も便利になり、困ることの無い時代。情報も山のように得ることができる。一昔前に比べると生活における優先順位も下がっているだろう。
そんな時代だからこそ「食とは何か」を自分は考えるべきだと思い、毎日、真剣に「食」と向き合っている。
自分にとって「食」とは大切な文化であり、ライフワークである。
追伸:ブランド全否定ではないですから。ちゃんとされてるところはちゃんとされています。ただ、「おいおい」と突っ込みたくなるブランドがあるのも事実です。板前として食材に触れて、食して感じた本音です。
TEL:092-725-6870(完全予約制)
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